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正しさの限界

02年12月14日 更新

蒲原歯科診療所所長 吉田万三 

 「歯磨きは大切だ!」こんな正しい命題を百ぺん唱えても、あまり熱心にきいてくれない患者さんがいる。しつこく言うのも疲れるし、だいたい「ハイ、ハイ、わかってます」と軽く受け流されてしまう。自分自身がそれほど品行方正な人間でもないので、ついつい「まあ太く短く生きるのも、ひとつの生き方ですから」などと言って妥協してしまう。考えてみれば、人生観や健康観といった、人間の価値観を変えようというのは生やさしいことではない。虫歯を治すのとは訳が違うのだ。

 先ごろ行なわれた選挙の結果は、まことに興味深いものであるが、同時にこれは新しい政治状況の始まりであって、プロフェッショナルな政治家はもちろんのことだが、私たち医療従事者も、大急ぎでこれからの時代の準備を始めなくてはならない。

 今後、「どの道を進むのか、何が正しいのか」をめぐっての政策的論議は活発化すると思われる。しかしそれは、ある程度同じ土俵に乗っていなければ、噛み合いにくいものでもある。一方でこの論議をしながらも、私たちの準備の中身をあえてひとつ挙げてみるならば、国民に対する「新たな価値観の提示」とでも言うべきことだと思う。

 医療の現場からこそ、今の医療・福祉のあり様、政治のあり様、さらには人間の生活のあり様を問う必要があるし、「国民医療を守る共同行動」のもつ意味も大きい。ミニ政党の乱立も、今の土俵におさまりきらない、多くの人々の「異なる価値観の提案」であり、注目すべき現象である。

 様々な価値観を持った人間に対して、科学的認識論の「正しさ」で攻め立てることも時には必要であるが、自ずから限界がある。いくら正しくとも、歯磨きをしない人がいる。医療にしても、政治にしても、相手にしているのは、平板な「科学的」人間ではなく、現実的な人間たちである。

 いよいよ政治の世界も、穴があいたら正しく治す「虫歯の時代」から、共に生き方を考え合っていくような「歯周病の時代」に入ったようだ。歯科医師も政治家も、これからは、手先の器用さだけでなく、共に考え合う能力や感性が、その力量として問われるようになる。

 ・・・と綴ったこの文章は、新医協(医療団体)の会報1989年8月1日号の「筆話室」という欄に「正しさの限界」と題して載せたものです。

 1989年ですから、日本はまだバブル時代、東欧やソ連の崩壊が始まった頃で、「資本主義の勝利」なんて言う人が出始めた頃でした。ソ連型社会主義はあえなく崩壊しましたが、資本主義もいまだに悪戦苦闘中です。

 私は、ソ連が駄目な理由のひとつに、「科学的」認識論への過信、平板な人間観、官僚機構による「正しさ」の独占、などがあると考えていました。

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