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万三さんの掲示板

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No.02139 at 2007/06/15 17:17
from ヤマちゃん [ Mail= 99 ]

都議会代表質問・一般質問の傍聴を

都議会定例会議での代表質問(6月19日<火>)、一般質問(6月20日<水>)が行われる。石原知事は選挙中に票をつり上げるための様々な「反省」や「再検討・再調査」、都民福祉のための新施策を口にした。また、最近では猪瀬直樹を副知事として任命する意向を表明している。同氏を石原知事の後継者にしてゆく意図も考えられる。都議会開会日の12日には、諸団体が都政要求を持ち寄り対都運動の皮切り行動が行われたが、この日は開会行事のコンサートと知事の所信表明だけだった。
質疑のおもしろさは、代表質問・一般質問にはじまるこれからの議論だろう。

代表質問・一般質問に立つ議員と順番、テーマについては下記の都議会ホームページに近日中に掲載されるという。
http://www.gikai.metro.tokyo.jp/index.htm

過日開催された「革新都政をつくる会」主催の都知事選挙総括集会にも吉田万三さんは元気な顔を見せて、今後も都政の監視と何らかの形で都政改革運動に関わっていく意思が表明された。
2年後になるかどうか分からないが、来るべきポスト石原の都知事選挙にむけて、議員は議員としての役割はあるのだろうが、市民の立場からの監視と問題提起は不可欠だ。

この「掲示板」での社会主義革命論やトロツキズム論、共産党論も結構だが、ここで闘わせる主要なテーマとは違うのではないか。

第3期石原都政はともかく動き出すので、その問題を摘出し、論議すべきだろう。都知事選挙の時にだけ都政を考えるのでなく、全国的な動きの中で常に都政に着目しているという市民グループ・運動体の存在が、都政をめぐる闘いが焦点化したときに底力を発揮する。それにしても「ポスト石原」は、それほど先ではないのだ。


No.02136 at 2007/06/15 15:58
from まっぺん [ Mail= redmole@m78.com WebSite= http://www.red-piper.com/ ]

一国社会主義の悲劇

>少し前の「掲示板論争」でのまっぺんさんも、「帝国主義が存在する限り一国社会主義などは成り立たない、
>だから世界革命によってしか社会主義は成り立たない」という立場なのでしょうか?

野沢さんの質問に、私の理解する範囲でお答えします。

一国社会主義は、スターリンによって早くから提唱されていましたが、戦後東西冷戦構造が出来上がった時、
それに対応するものとして西側諸国との平和共存を前提とした国家建設方針として採用されました。ソ連型社
会主義「国家」建設は、スターリンによる歪んだ官僚支配体制下であったとはいえ、あそこまでよくやったと
言ってもいいと思います。

我々が「先進国革命の手本」としてきたロシア革命は、実際には、当時の明治日本にも匹敵する、極めて遅れ
た後進資本主義の帝政国家でした。それが革命後、科学技術の進歩においてはアメリカより先に有人宇宙船を
飛ばすまでに成長したのですから、様々な矛盾や限界を入れてもなお、ここまで進歩できた事は驚嘆に値する
と思います。

しかし、それでも広い国土と2億の人民の力がなくては出来なかったでしょう。そしてやがてはソ連も崩壊し
ました。一国社会主義政策がこの崩壊の重要な原因であると思います。またスターリンが振りまいた「一国社
会主義」の幻想は、ソ連ばかりでなく他の国々にも悪影響を与えました。

中国では毛沢東の「大躍進」政策は大失敗しました。カンボジア・ポルポト体制は政治的にもひどいものでし
たが、鎖国政策による「一国社会主義」でした。ビルマ型社会主義も、アルバニア社会主義も、そして北朝鮮
も、一国社会主義や自主経済を掲げて成功した例はひとつとしてありません。それは社会主義方針がそうで
あったばかりでなく、帝国主義者が妨害するからでもあります。帝国主義が存在する限り、社会主義建設は成
功しません。ぼくはそう思います。


No.02133 at 2007/06/14 22:40
from 日本国憲法擁護連合 [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ]

永続革命論について

二月革命(ロシア革命)が起きると、レーニンは亡命先のスイスから帝政の崩壊によって民主主義革命は終了したとして、権力掌握に消極的なボルシェビキの国内指導部(カーメネフ、スターリンら)を批判して蜂起を主張し、帰国すると有名な四月テーゼを発表した。従来のレーニンの二段階革命論に固執した弟子たちは、レーニンの主張の急変に驚き、蜂起はブルジョアジーを革命からしり込みさせて革命を敗北に導くとして反対する中で(カーメネフとジノヴィエフは最後まで反対した)、唯一トロツキーだけがレーニンのテーゼを支持した。これによって、レーニンは革命論においては実質的にトロツキーの理論に近づき、一方トロツキーは「何をなすべきか」に示されたレーニンの組織論を受け入れて、二人の協力関係が成立しレーニンの死までその協力関係が揺らぐことはなかった。古くからのボルシェビキがしばしばトロツキーを疑惑の目で見た中で、レーニンはトロツキーこそ最良のボルシェビキであるとして、終始信頼し擁護していた。

しかし、レーニンの死後、スターリンによってレーニンとトロツキーの論争は意図的に歪曲された。トロツキーの永続革命論や世界革命論は、あたかも極左主義的、反レーニン的で農民を無視する観念的な理論であるかのように非難されてきたが、ロシア革命の中で極端な攻勢理論や革命の輸出をもくろむ革命戦争派やボルシェビキ左派などの空論家たちとレーニンとともに最も熾烈に戦ったのはトロツキーである。



永続革命論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E7%B6%9A%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%AB%96

なお、付け加えると経済学的においてトロツキーの波動論は正確とは言い切れず、レーニン『帝国主義』がよいといえるでしょう。ただ、レーニンの後継者としてトロツキーは最高の人物だったといえるでしょう。


No.02132 at 2007/06/14 22:26
from 日本国憲法擁護連合 [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ]

少し私のほうから・・・

>村岡氏が当時のトロツキスト・第四インター日本支部の機関紙『世界革命』編集員であった頃、私も共青同の
>メンバーでした。我々はほぼ同じ頃に組織を辞めたように記憶しております(村岡氏は第四インターを、私は
>共青同を)。

村岡氏は中核派から第四インターに移動した人ですが、いまではJR総連の側にいると聞きます。いずれにせよ、思想遍歴がいろいろある人のようですがあまり信用できない人だという印象があります。

日本の第四インターはフランス本部から国際除名を受けていることと、また日本の第四インターの組織分裂という状況のなかで党派として実態をだいぶ後退させていると思われます。


>村岡氏は通常の「新左翼」の極端な反共姿勢とは違った考え方をもっていることは注目してもよいと思いま
す。

>新左翼一般を「反共」というのには同意できません。

反日本共産党という言い方のほうが正確だと思います。共産主義運動は日本共産党だけではないと思いますので。

>中核派の理論(反スタ主義)では共産党は「敵」と規定とされますが、


単純な「敵」「見方」という発想ではないと思いますのでそういう書き込みはやめたほうがよろしいかと思います。わかりやすいとは思いますが・・・


>第四インター派、つまり「トロツキスト」は「反共産党」ではありません。

日本の第四インターは、社会党や共産党への潜入・加盟戦術ということが事実のようです。


>村岡さんは、中核派から第四インターに移ってからそれを学んだのではないかと思います。8年前に書いた拙>文をお読みいただければ幸いです。


そのあと、第四インターから離脱され今ではJR総連関係に出版物を出してもらっていると聞きます。
いずれにせよ、「思想性」や「理念」ではなく、利用主義で生きている感じがして印象がよくない方だと思います。


No.02131 at 2007/06/14 22:17
from 野沢さんへ [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ]

日本国憲法擁護連合

野沢さんへ。

>ありがとうございます。今すぐとはいうわけにもいきませんが、読んでみたいと思いますが、

岩波書店の文庫に「裏切られた革命」はあります。

>少し前の「掲示板論争」でのまっぺんさんも、「帝国主義が存在する限り一国社会主義などは成り立たない、>だから世界革命によってしか社会主義は成り立たない」という立場なのでしょうか?

これはトロツキーの「裏切られた革命」の主張ですが、レーニンもそういう論調の著作を出しています。


No.02130 at 2007/06/14 21:37
from まっぺん [ Mail= redmole@m78.com WebSite= http://www.red-piper.com/ ]

野沢さんへ

村岡氏が当時のトロツキスト・第四インター日本支部の機関紙『世界革命』編集員であった頃、私も共青同の
メンバーでした。我々はほぼ同じ頃に組織を辞めたように記憶しております(村岡氏は第四インターを、私は
共青同を)。

>村岡氏は通常の「新左翼」の極端な反共姿勢とは違った考え方をもっていることは注目してもよいと思いま
す。

新左翼一般を「反共」というのには同意できません。中核派の理論(反スタ主義)では共産党は「敵」と規定
されますが、第四インター派、つまり「トロツキスト」は「反共産党」ではありません。村岡さんは、中核派
から第四インターに移ってからそれを学んだのではないかと思います。8年前に書いた拙文をお読みいただけ
れば幸いです。

[参照URL = http://redmole.jp/sosialism/sosialism2.html]


No.02126 at 2007/06/14 19:58
from 日本国憲法擁護連合 [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ]

hiroshiさんへ

 >革命とは国民が豊かになること、幸せが実感できる世の中になることです。

非常に抽象的でよくわかりません。革命とは、政治経済的にいえば支配階級の移行をしめすものではないでしょうか?

>日本には公党といわれている政党に革命政党は3党以上あります。

これも同様です。具体的にお願いします。
革命と、政権交代・革新・刷新とは違う概念だと考えます。

>この視点で国政選挙を戦えば、与党を喜ばすような立候補はなるべく控えて、統一戦線は無理としても、共産>党の議席増大を含めて野党全体が増大する戦略が望まれます。


私は改憲という右翼側からのクーデターのような状況を阻止しなければならないと考えています。今度の参院選挙の争点は日程からしても改憲です。ですから、改憲阻止のためには共産党や社民党や9条ネット、民主の一部議員の共闘が必要だと考えています。


No.02124 at 2007/06/14 19:22
from 日本国憲法擁護連合 [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ] ]

トロツキーの「裏切られた革命」を読んでください。

野沢さんや日本共産党の方々は、ソ連崩壊を考えるためにもトロツキーの「裏切られた革命」を熟考してほしいと思っています。少なくとも、トロツキーは「帝国主義の手先」ではないこと、むしろスターリンがレーニンやマルクスをいかに捻じ曲げて一国社会主義建設を強引に建設していったのかがはっきりするかと考えます。トロツキーが予想したようにスターリンが建設した一国社会主義のほうが破綻してしまったことが唯物論的現実ではないでしょうか?

また、「ロシア革命におけるトロツキーがそうであったように、自国の労働者階級と人民が、基本的には独力で、革命を維持し発展させることができない、という人民大衆の能力にたいする不信と蔑視に満ちみちた理論である。」というのは、いかにもスターリンの主張にそったすり替えにほかならず、そもそもトロツキーはレーニンの革命に賛同してボルシェビキに協力した人物です。レーニンはトロツキーを後継者にしようと手紙に残してもいます。

トロツキーの世界革命論とはトロツキー単独の主張ではなく、マルクスやレーニンも主張していた理論です。それは、ロシア一国が社会主義になったとしても国際的には帝国主義に包囲されロシア革命はつぶされてしまうだろうというもので(シベリア干渉なども例)、だからレーニンはロシア革命のあとドイツ革命・ヨーロッパ革命、帝国主義に対峙する植民地主義体制諸国の民族解放闘争に期待をよせたのです。

つまり世界帝国主義と帝国主義による植民地収奪に対峙するには、ロシア革命から世界革命への連続だと主張したのは、トロツキーだけではなくレーニンもその立場であったわけで、だからこそレーニンはトロツキーを後継者にするよう手紙にしたためたわけなのです。

しかし、トロツキーとの政治闘争に勝利したスターリンは、トロツキーを海外へ追いやりトロツキー暗殺を指令しながら、ロシア一国社会主義建設路線を掲げ、一方ではドイツ革命を敗北させロシア革命から世界革命へではなく、第一次大戦と対峙したレーニンとは違って第二次大戦へ参戦してしまう方向にひた走ってしまいます。

つまりレーニンのような帝国主義との対峙ではなく、一国社会主義建設と帝国主義戦争に加担してしまったのがスターリンだったということです。戦後の帝国主義に対する認識、姿勢もスターリンは相変わらずでした。

またハンガリー革命にいたるソ連スターリン主義の問題は、労働者階級そのものの自己解放的な闘いとしてスターリン主義的官僚主義に対峙したものとして重要でしょう。

したがって、永続革命論からみちびきだされる結論に至る歴史があるのです。
ロシア革命の事業を受けつぎ、発展させたスターリンは、じつは、「一国社会主義論」を「テコ」として、革命を他国へ「波及」させることを放棄して裏切り、国内ではあらたな「スターリン官僚」を大量に生みだし、ソ連は「腐敗した労働者国家」へと変質してしまったという指摘は間違いではないのではないでしょうか?

しかもスターリンの建設したソ連は破綻してしまったのは、トロツキーが主張していたように一国社会主義は帝国主義から国際包囲されるだろうという見解が間違いではなかったといえるのではないでしょうか?ソ連に限らず北朝鮮や中国に向けられる現状はそういうわけではないでしょうか?

そもそもトロツキーの意見とは、帝国主義が存在する限り一国社会主義などは成り立たない、だから世界革命によってしか社会主義は成り立たないという意見ですが、世界史における社会主義を考えますとトロツキーの見解が逆に証明されているような事態がソ連の崩壊以降の現代世界ではないでしょうか?


No.02123 at 2007/06/14 18:46
from 日本国憲法擁護連合 [ Mail= united1917@msj.biglobe.ne.jp WebSite= http://navy.ap.teacup.com/union/ ]

トロツキーとスターリンについて

ロシア革命を指導したボリシェビキ党は「ロシア共産党」と改名し、腐敗した戦争協力の第二インターにかわる新しいインターナショナル、第三インターナショナルを建設する事をきめた。

第三インターナショナルは「共産主義インターナショナル」(コミュニスト・インターナショナル、略称=コミンテルン)として発足し、そこに加盟するための21カ条の条件を設定して、第二インターのように労働者を裏切らないようにしようと努力した。

しかし、スターリンが共産党書記長に就任し、レーニンが1924年に亡くなると、ソビエト連邦とコミンテルンを官僚主義によって支配しはじめた。スターリンは自分に反対するとみられる国内の活動家を次々と処刑していき、また多くの人々をシベリアに流刑し強制労働に従事させた。

スターリンの最大の理論的誤りとは、一国社会主義論(プラス二段階革命論)によるマルクスやレーニンなどの世界革命の放棄、帝国主義との妥協、第二次帝国主義戦争への参戦などです。

また、国外では、各国に結成された共産党(コミンテルン支部)に命令を下して、スターリンに反対する者を排除したり、とくに自分に都合の悪い人間に対しては暗殺者を使ってトロツキーなどを抹殺しした。

1920年代のドイツなどでは革命勢力にとって有利な情勢がはじまっていた。もし共産党とコミンテルンが正しい指導をおこなえば、労働者階級が勝利して、社会主義ドイツが出現したかもしれない可能性が高かった。

しかし、コミンテルンの権力を握ったスターリンはドイツ共産党にたいして自国帝国主義に対する社会主義革命を掲げさせない「コミンテルン指令」をあたえ、社民主要打撃論でナチと共闘する道さえ選択させていった。これを実行したドイツ共産党は労働者階級に甚大な被害を与えたながら、ナチス党が権力を握ることになった。


いよいよ、第四インターナショナルです。当時、スターリンによりソビエト・ロシアを追放されていたトロツキーは、パリでドイツの様子を知り、スターリンの無能な政治指導によってナチスがドイツの政治権力を握ったこととコミンテルン(第三インター)がもはや労働者階級の戦いの武器としては役に立たないことを確信した。

そこでトロツキーは、「新しいインターナショナル」を建設しなければならないと決意した。やがてトロツキーと彼を支持する革命的左翼勢力は、1938年パリに集結して会議をひらき「第四インターナショナル」の創設を宣言した。

ちなみに、レーニンは晩年、粗暴なスターリンとの闘いを指示しトロツキーを後継者にしていた手紙を残しています。スターリンは、レーニンと一緒に写った写真まで改ざんしてロシア内外に広めたこともある人物でした。

また、野沢さんや日本共産党の理論家の方々は、ソ連がなぜ崩壊したのかについて、いろいろな左翼の人々の意見を集約させて、もう少し違った掘り下げてほしいと考えます。

私の場合は、ソ連の崩壊とは、スターリンやソ連邦官僚主義の粗暴さや抑圧体制の崩壊だけではなく、そもそもスターリンの一国社会主義理論から建設されてきた一国社会主義が、戦後も延命し続けている帝国主義国家との軍拡競争を招いて(アフガニスタンへの介入など)経済危機に直面して、自ら破綻していったことという側面を重要視する必要があるのではないかと考えています。

なお、帝国主義側も絶えず世界恐慌的な投機経済で経済を乗り切ったり、被抑圧民族との対立・新植民地主義支配などの矛盾や、通貨ブロック競争による矛盾の解決方法として、レーニン「帝国主義論第七章」のように帝国主義戦争という方法以外ないというのが現実のようです。

ちなみにイラク戦争は、ユーロとドルの通貨対立構造が招いた帝国主義戦争だと私は認識しています。

なお、私は、日本共産党がこれまでのトロツキーへの否定的評価を変え始めたことに対しては一定評価しています。できれば、さらにふみこんでトロツキーの再評価を考える段階にきているのではないでしょうか?

ちなみに私は、純粋なトロツキズムの立場ではなく、あくまでもレーニンの「ボルシェビキ」をふまえた理論的立場からスターリンの理論を批判しているのです。


No.02122 at 2007/06/14 15:38
from まっぺん [ Mail= redmole@m78.com WebSite= http://www.red-piper.com/ ]

新日本新書「トロツキズム」について

野沢恒夫さん、こんにちは。私は一時期、トロツキズムの青年組織(共産党に例えれば民青同にあたる)に所
属した者の立場から、新日本新書「トロツキズム」とその著者についてご紹介申し上げます。

●川上徹氏の歪んだ「トロツキズム」論

あなたが引用された新日本新書「トロツキズム」の著者、川上徹氏がどういう方かご存じでしょうか? 彼は
かつては全学連委員長として、トロツキズム批判の書をいくつも書いてきましたが、これもそのひとつで、私
も拝読いたしました。はっきり言ってひどい本で、トロツキズムというものを歪めて書いてある本です。新日
本出版社はいまだにこんないかがわしいものを出版しているのでしょうか。あなたが引用された『共産主義者
同盟第六回大会政治報告』とはトロツキストの党派ではなく、「トロツキズムの間違い」を主張して作られ
た、通称「ブント」といわれる党派の大会報告です。ブントは共産党学生細胞によって作られた組織が共産党
から別れてできたものでした。

この本ではトロツキズムについてきちんとした分析もなく、共産党中央に反対する共産主義者はみんな「トロ
ツキスト」という位置づけになっています。このような「トロツキスト」呼称の使用方法は、戦前よりスター
リンが反対派全般に対して「権力の手先・スパイ」などと同等の意味を付与させて貼ってきたレッテルであ
り、正しい「トロツキズム批判」の方法とは到底言えませんし、この本を読んでも、到底「トロツキズム」に
ついての正しい知識を持つ事はできません。また、スターリンと同じ用語をスターリンと同じ用法によって使
用しながら「自分たちはスターリン主義者ではない」と主張するのは無理があるのではないでしょうか。

●川上徹氏自身も共産党から排除された

川上徹氏はその後、党内で「新日和見主義」と言われ、党内部で何度も査問を受け、結局排除された人です。
つまり、トロツキストたちが共産党中央の非民主主義的・官僚主義的体質について批判してきた事に対して、
それに反論してきた川上氏自身が、共産党中央から非民主主義的・官僚主義的なやり方で排除されてしまった
のです。彼は一方的な査問によって自己批判を迫られるばかりでした。その事実は、彼がやがてその体験談を
書いた、『査問』(筑摩書房)という本によって明らかです。この本は筆坂氏も引用されているのではなかっ
たでしょうか。また、他ならぬ「トロツキスト」の機関紙『かけはし』に、現役の共産党員が、この本の紹介
文を載せています。参考までにご覧ください。

ついでに筆坂氏についても申し上げなければなりません。一時期は共産党次期幹部の呼び声も高い「プリン
ス」と見られていた筆坂氏が突然失脚した事情は未だに理解できませんが、その筆坂氏も党中央批判を始めた
のは党から除名されて後の事でした。これを見てもいかに共産党は内部にいながら党を批判する事が難しい党
であるかが判るのではないでしょうか。これは共産党だけではありません。私が所属したトロツキスト組織で
も民主主義は前提とされながら実行されなかった例はあります。民衆の未来を切り開いていく党は、民衆に対
しても開かれていなければなりません。万三さんのこの掲示板がそうした様々な意見に対しても開かれた板と
して、これからも機能していく事を願っております。

書評『査問』http://www.jrcl.net/web/framecp05.html
加藤哲郎「査問の背景」http://homepage3.nifty.com/katote/samon.html
川上氏の出版社「同時代社」http://www.doujidaisya.co.jp/

[参照URL = http://www.jrcl.net/web/framecp05.html]


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